毎日毎日大なり小なり失敗をしている僕らです。
その失敗は、いつまでも覚えていたり、すぐに忘れてしまったり…と色々とあると思います。
後悔したりふさぎこんだり、前向きに「失敗は成功の基!」と考える事もあります。
でも、出来る事なら失敗はしたくないですよね。
ならば、相手の「佇まい」を見る。つまり、よく観察しよう!って話です。
ヤムチャに成るな!
筑波大学准教授の落合陽一は学生たちに、よく言っていることがあります。
僕は良く学生に「ヤムチャになるな」と言います。
”ヤムチャ”とは『ドラゴンボール』に登頂するキャラクターなのですが、とにかく良く負けます。なぜかというと、相手の戦闘力を見誤るからです。
(中略)
ヤムチャが相手の戦闘力を見誤ってしまうのは、対象を観察する能力(センサー)の精度が低く、相手の「佇まい」からその実力を判断できないからです。
0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書/落合陽一 P62
弱いから負けるのではありません。自分よりも強いやつに無謀にも挑むから負けるのです。
え、同じじゃないかって?そんなことないです。
弱くとも傾向と対策と手段を選べば強敵にだってかないます。オオスズメバチにだってミツバチたちは「熱殺蜂球」という必殺技で蒸し殺すのですから(この必殺技に興味があっても、虫が苦手なら決して画像検索はしない方がいいです)
自分と相手の力量の差を分かっていれば無謀な戦いなど挑みません。
その相手との力量の差を知ること、それが「佇まいを見る」つまり「観察する」と言う事です。
観察を怠れば失敗の可能性が高まります。よく見て考えないから失敗します。
問題文をろくに読まずに解答すれば、三角かバツがついて返ってきます。
そして「あぁ、よく読んでなかったわ」と思うのです。
些細な失敗かもしれませんが、その些細な失敗でチャンスを逃すこともあります。だから、そんなヤムチャに成らない為にも、相手や物の佇まいをよく見極める。つまり、「観察」するのです。
知識と経験のフィルター
観察すると言う事は、ただ茫然と見る事ではありませんよね。
「観察とは、自身の知識と経験のフィルターに通して情報量を補完する事」だと考えています。
そして、この「知識」と「経験」の数だけフィルターの精度が上がり、相手の佇まいを見抜けるのです。
「知識」と「経験」が乏しければ、目の前で何が起きているのか、相手が何を言っているのか、それは何なのか、相手がどんな人物なのかが分かりません。
しかし、「知識」か「経験」どちらかがあれば自分の知識や経験を照らし合わせて、それはいったい何なのか?何が起こるのか?何を言っているのか?などが見えてきて情報量が増えていきます。そうやってフィルタリングすることで、目には見えない情報。つまり、相手の「佇まい」が見えてくるのです。
「知識と経験のフィルター」の精度が高くなれば、多くの物事や人物の「佇まい」に気づけます。「佇まい」に気づくことで、僕らの見えている世界も変わってきます。
それでも僕らは未熟だから
とは言っても、僕らは「知識」も「経験」も豊富ではないかもしれません。
だから「知識と経験のフィルター」の精度はそれほど高くないでしょう。
ならばできる事は一つです。自身のフィルターの精度を高める努力を日々する事です。
当たり前な事ですよね。結局それしかないんです。
新たな知識を学び、新たなことに挑戦する。その中で常に観察の目を研ぎすませ「佇まい」を見抜ける様に観察眼を磨く。そうやっているうちに、観察の中で何とも言えない違和感のような疑問に気づきます。その疑問を突き詰めれば新たな発見に変わり知識に変わる。
また、一人ではどうしようもないことにぶつかるかもしれません。その時は、自分よりも知識と経験を持ち合わせた人に助けを求めるのも必要でしょう。
時には、見抜けずに失敗をすることもきっとあります。しかし、それが自身の経験と知識になり、フィルターの精度が高まります。
そして、昨日より今日、今日より明日、少しでも物事の「佇まい」に気づけるようになっていく。それが失敗を減らし、結果的に僕らを成功に導いてくれるのでしょう。
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