気づけば長かった日が短くなりつつありますね。
当たり前ですが、秋が近づいてきてるなぁ。と、電車の車窓からしみじみと思います。
今週は、湊かなえと安部公房の作品と、自分の長所を見つけるための本を読みました。
湊かなえは高校生の頃に読んだ「告白」以来です。
絶唱
二十年目の物語
南太平洋に浮かぶ約170の島群からなる国家であるトンガ王国と阪神淡路大震災をベースにした4つの連作からなる今作。
阪神淡路大震災から二十年。あれから今日まであちこちで震災は起きている。
そして被災者となり消えない傷を心に残したまま、今もなおどうにかこうにか生きている人たちがいると言うことに気付かされた。
もちろんどの物語もフィクション。しかし、少なからずそんな思いを抱えている人たちが今もいることは事実。
ぼくは今まで大きな震災を被ってないないのではっきり言って他人事にしかならない。
大人になるにつれて、どこかしらの被災者だった人たちに出会うが、どんなに本人達の言葉を聞いてもその苦しみは決してぼくは分からないと言うこと。
そして、これからもきっと被災者だった人たちと出会うことがあるだろう。
その度に、ぼくはこの作品の中の一節を思い出すのだろう。
わたしは出身大学を訊かれるのが嫌いです。わたしが兵庫県の大学に通っていたことを知ると、逆算して、震災の時はどこにいたのかと十中八九訊かれるからです。
絶唱/湊かなえ P295
西宮市にいたけれど、翌日には電車が復旧したようなところなので、無事に避難できました。なのに、大変でしたね、と続き、わたしは(ぼくは)あの時〜、と自分のことを語りたがるのは、境界線のもっと外側にいた人たちばかりなのです。
箱男
見る者、見られる者
ダンボールを頭からすっぽり被り、街を徘徊する謎の放浪者。箱男の記録の物語。
空気銃で撃ち抜かれ、贋箱男が現れ、箱男のダンボールを5万で買う者が現れて…と物語は予測不可能な方向へ何度も転換する。
住所不特定者の比喩なのだろうか?と思ったがそう言うわけでもない。
本当に、ダンボールを頭から被り、街を徘徊し、お手製の覗き穴から世界を覗き見る。しかし、誰も箱男に気にも留めない。なぜならそれが箱男だから。
読んでいるうちに、ぼくは一体何を読んでいるんだ???と、何度も思わされた摩訶不思議な作品。巻末の解説を読んで、やっと思考が追いついた(気がした)
安部公房の頭の中はどうなっているんだ…
これは箱男についての記録である。
箱男/安部公房 P7
ぼくは今、この記録を箱の中で書き始めている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺りまで届くダンボール箱の中だ。
つまり、今の所、箱男はぼく自身だと言うことでもある。箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけているというわけだ。
さあ、才能に目覚めよう
あなたの才能を見出す
世論調査の先駆け的存在である民間企業の「ギャラップ社」が40年にわたって行ってきた「人間の強み」に関する研究に基づいた、最も科学的な「長所の見つけ方」
巻末の付録からアクセスした先で100個以上の質問に答える。
その質問から、僕らの長所を教えてくれる。
さらに、その長所を生かすための行動リストも付いてくる。
と言う、長所を見つけ、さらに伸ばす事にフォーカスした一冊。
昔から僕らは「あなたの長所は何ですか?」と訊かれ続けている。
いつもいつも「知らんがな」と心の中で吐き捨てながら、テンプレートにささやかな筆を加えた、「ぼくのかんがえたちょうしょ(仮)」をツラツラと並べる。
そして、いつもいつも「本当にこれがぼくの長所なのか?」と思ってしまう。
そんな風に、自分の口から吐き出される長所に疑問を抱いていましたが、この本を通して、自分でも納得のできる長所に出会いました。
と言うか、長所ではなく悪い癖だと思っていましたが、それもぼくの一つの長所だったようです。
もっと早く読めばよかったなぁ。そうすれば、履歴書で頭を悩まさずに済んだのに。
才能を伸ばすことにエネルギーの多くを注ぐことが出来れば、私たちは飛躍的な成長を遂げることができる。だから「何にでもなりたいものになれる」は、こう言い換えた方がより正確だろう。
さあ、才能に目覚めよう新版/トム・ラス P16
何にでもなりたいものには「なれない」が、本当の自分を大きく飛躍させることが「できる」。
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