今流行りのタピオカを飲んでみました。十年くらい前の高校生だった頃を思い出しました。
あの頃の味は覚えていませんが、多分今時のタピオカの方が味が濃い気がします。
あの頃はタピオカに何時間も並ぶほど流行るなんて思っていませんでしたね。
人生何が起こるかわからないなぁ。
今週は、心理学的に自分を変えることに関する本とカズオ・イシグロの「忘れられた巨人」、そして、ブレードランナーの原作となる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読みました。
余談ですが、ブレードランナーは見たことありません。
忘れられた巨人
霧が覆い隠す忘れられる世界
記憶を奪ってしまう不思議な霧が覆う世界で、老夫婦が息子に会うために旅に出る物語。
道中、アーサー王の騎士や竜退治の命を受けた戦士…と、様々な自分物に出会う。その中で、かつての記憶が小さく蘇りながらも、妻の手を取りながら旅を冒険にしながら進む。
物語の中の世界ではなくても、僕らは気づけば記憶をどこかに置き忘れて生きている。
いい記憶も悪い記憶も奪い去ってしまう世界はファンタジーのようで現実と変わらない。ただこの物語の世界では、記憶を奪う明確な原因が存在する。
物語はアーサー王伝説のアーサー王亡き後のブリテン島を舞台にしているのだが、僕はどれもよくわからないまま読んでいた。
そもそもアーサー王伝説がフィクションだったことも知らなかった。
そんな知識ゼロでも問題なく読めたが、多少の歴史的背景が分かる程度の知識があった方がスムーズに読めたかもしれないなぁ。
タイトルは「忘れられた巨人」とあるが、巨人の比喩は結局わからないまま読み終わってしまった。
巨人とは主人公のことなのか、それとも人々が忘れてきた記憶たちのことなのか…?
その巨人は忘れ去られてしまうべきものなのか。それとも思い出された方が良いのか。
そもそも、霧は記憶を奪っているのではなく、覆い隠しているのか…
まぁ、答えのない話か。
「あなたの記憶がそうなら、それでいいのではないかしら、アクセル。この霧がある限り、どんな記憶も貴重ですもの。逃さないよう、しっかりとどめておかないと。
忘れられた巨人/カズオ・イシグロ P123
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
人間に限りなく近いたら
第三次世界大戦起き、自然環境が壊滅的被害を受けた世界。一歩間違えればありうる世界。
そんな世界でアンドロイドの賞金稼ぎが主人公。賞金を稼ぐ目的は生きた動物を買うため。
自然環境が壊滅的な状況だからこそ、全ての動物が保護を通り過ぎて崇拝のような状況になっている。
生きた動物を所有する事がまるで、唯一の人間らしさのようなおかしな世界。
そんなおかしな価値観のためにアンドロイドは狩られる。
この世界のアンドロイドは限りなく人間に近い容姿をしている。
近い容姿をしているが、人間のようには扱われない。「あれ」とか「これ」とか呼ばれるくらいモノでしかない。
そんなモノでしかないアンドロイドを買っている中で、主人公はアンドロイドと人間の違いに疑問を持ち始める。
いつかきっと僕らはこの物語のような世界に近づき、主人公のような疑問を持ち始めるのだろうか。その時、人間は人間らしくいるのだろうか。
急速に技術が発達している世界に生きているからこそ、ただのフィクションとして一笑に伏す事ができない。
アンドロイドがこの世界に生まれるのが先か、人間の体を人工的な何かと取り替えるような事が当たり前になる世界の方が先かはわからないが。
外見では全くわからないアンドロイド。わからないから倫理的な質問して判断をする。なんとも曖昧だ。そのくらい境界がなくなるほど発達したアンドロイドは人間のように思考し、意志を持ち、振る舞う。
アンドロイドは夢を見るのか?もし夢を見るのであれば、人間との境界をまた一つ曖昧にしてしまう。
そんな世界がもしきたら、僕らは人間として生きる事に意味はなさなくなるのだろうか。
もし、体のパーツを機械のように交換し、脳に何かを埋め込むような世界が訪れた時、人間が夢を見なくなれば、人間ではなくなるのだろうか。
「損失なのかしら?」とレイチェルは繰り返した。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/フィリップ・K・ディックP253
「わたしにはわからない。わかりようがない。子供を産むのはどんな気持ちのもの?そういえば、生まれてくるのはどんな気持ちのもの?わたしたちは生まれもしない。成長もしない。病気や老衰で死なずに、ありのように体をすり減らしていくだけ。またアリは出たわね。それが私たちなのよ。あなたじゃない。w他市のこと。ほんとは生きていないキチン質の反射機械」
スタンフォードの自分を変える教室
意志力の科学
往々にして僕らはいつも自分を変えたいと思いながら1日を終えている。
少なくとも僕はそうです。人並みに悪癖があり、人並みにいいところも多分あるような、特筆するほどの人間ではないのです。
それでも、それだからこそ変わりたいと思いながら今日も生きている。
そんな、自分を変えるための方法や考え方を科学的実例を元にして、一冊にまとめたもの。
何をするにも必要な力「意思力」を科学的にかいめいし、科学的実例を元にしながら、自分自身を観察し、自分で試して実験しながら自分自身を導いていく。
意思力と聞くと根性論のように聞こえるが、それぞれが持ち合わせているエネルギー量みたいなもので、意志力を使えば使うほど消費されてしまう。
そんな有限な意志力を理解し、うまく使いこなすことによって自分を変える。
個人的には、いつまでたっても満たされることはなアドレナリンの話が面白かった。
この旅が読者の皆さんにとって、科学の素晴らしい世界を垣間見る機会となっただけでなく、奥の収穫をもたらすように祈ってもいます。私たちはそれぞれの研究事例から、自分自身の意思力のチャレンジについて学ぶ事ができます。そして、自分がどの程度の自制心を持ち合わせているのかを認識することもできます-時には思うように発揮できないこともあるとしても。
P358
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