台風15号が通り過ぎた余波で交通機関が麻痺してましたね。おかげで読書が捗りました。
太陽が昇れば汗を流す様に働き、雨雲が空を覆えば本を読む。晴耕雨読を体現していきたいですね。
今週は、米澤穂信の短編集と中村文則の作品と、選択を科学的観点から考察する本を読みました。
満願
過剰な人間臭さ
全6篇からなる短編集。
暗く妖しく、そして、スリリングな作品たちでどれもこれも印象深く残った面白い作品たちだった。
個人的には、後悔と過失を銃口で塗りつぶそうとする「夜警」と、美しき姉妹の妖しくも見えない駆け引きが潜む「柘榴」が特に印象深く残りました。
どれもこれも過剰になった人間臭さが物語の雰囲気を後押ししている感じがします。
相変わらず日常に潜む闇とか人の暗い部分が見え隠れする物語に惹かれてしまいますね。
そういう世界観の中で展開される人間臭いストーリーは身近な世界なのにSFよりもフィクションに感じます。
あの夜に見た白い裸身は、冴えた月のように美しかった。誰もがきっと、唇を寄せたくなるほどに。
満願/米澤穂信 P172
けれども今は、それほどでもない。
私の消滅
不安定な私たち
重度のうつ病を抱えた女性と、彼女を治そうとする精神科医の物語。
あらすじはありがちだけれども、読み進めるほど「私」という存在の不安定さに切なくなる。
人間とは、私とはいったい何なのか?と思わされた。
催眠、マインドコントロール、電気ショック…と、外部から強制的に人間の脳をいじくることで、過去の記憶も、今現在も塗り替えれてしまう。
そうなったときに「私」という存在は、自分自身が確固たるモノと思っているだけで、
実際は、USBに記録され続けるメモリと同じようなモノでしかないのだろうか。
そう思うと、僕らはなんて不安定な存在なんだろうか。
僕が僕である保障なんてどこにもないのに、僕らは当たり前に今日も明日も生きていく。
もしも、催眠で趣味嗜好を、マインドコントロールで行動も意志も価値観も書き換えられ、さらに、電気ショックで脳を無理やりいじくられ、今までの記憶を失ったら、僕は一体誰になるのだろうか…
「……人間が生きると言うのは、何なのでしょうね」
私の消滅/中村文則 P167
選択の科学
より良い選択をするために
僕らは生まれた時からインストールされている初期機能の「選択する」。という能力に振り回されている。
毎日毎時毎分毎秒…と、今日を幸福に生きるために選択し、選択しない事も選択する。
そんな、生きる上で切り離せない「選択する」と言う事は、僕らの中で何が起きているのか?という、僕らの当たり前の機能について科学的に研究され考察された一冊。
選択の科学といえば、多すぎるジャムの実験で有名です。筆者を知らなくても、この実験を知っている人は多いんじゃないかな。
本書を読んでから、何かを意識して選択するときに本の内容がよぎるようになりました。これは選ばされているのか?この選択をするのはぼくの性格や今の環境のせいなのか…という風に。
めんどくさい性格になったかなぁ。と思いましたが、一度立ち止まって頭の中のバイアスを振り払ってちゃんと選択する姿勢になった。と思うようにしてます。
作家のフラナリー・オコナーは、こう言ったそうだ。「わたしは自分が知っていることを発見するために、書くのだ」。彼女にならって、わたし達もこう言ってみてはどうだろう?
選択の科学/シーナ・アイエンガー P139
「わたしは自分が何者であるかを知るために、選択するのだ」と。
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